ニュースにBGMをつける奴のツラが見たくないのか

NHK記事引用のついでに) このところ寝苦しくて眠りにつけず、めったに見ないテレビをつけたことがあった。見るとはなしに早朝のNHKニュースが、つけたままの状態に。ニュースの内容は特に頭に入ってこなかったが、そのうちイライラ感がこみ上げてきて画面をじっとにらみつけることになってしまった。短いニュースを連続して伝えるコーナーで、BGMとしてドン・ド・ドン・ドン♪ドン・ド・ドン・ドン♪とリズミカルな重低音が流されていたからだ。ニュースの内容には関係なく、ニュースを一定の間隔で処理していくのを助長するような音が流されている。「あぁ、NHKもやっていたのか」と、妙に落胆してしまった。いつからこんなことをやっているのだろうか。 最初にニュースにのせられたBGMに腹立たしさを感じたのは、10年以上もはるか前、「NEWS23」だったと思う。メインのニュースの後、短いニュースを連続して伝えるコーナーがあって、そこにBGMがついていた。ニュースとニュースの間に、小さな効果音が区切りとしてつけられているのにも気づいたのも、最初は「NEWS23」だった。区切りをつける音までは許そうと思えた。でも地(じ)のニュースにBGMをつけるセンスが嫌で嫌でたまらず、「NEWS23」は見なくなった。そのうち気がつけば、かなりのニュース番組で、雑報的なニュースにBGMがつけられていた。

BGMはときとして、キャスターがコメントをつけて、ニュースに意味づけするのよりも腹立たしい。ニュースそれぞれがもつ相貌をはぎとり、平準なものに希薄化する暴力を感じる。視聴者がニュースひとつひとつを受け止める余裕を強制的に奪い去るようなチカラをBGMはもっている。キャスターがニュースの意味づけを語るとき、それはキャスターの個性と結びついているので、それがどのような方向にぶれても、許容はできる。一人の顔の見える人間の見解だからだ。しかしニュースにBGMをつけるのは顔の見えない制作者であり、誰ともわからない人物が、一色の背景色でニュースの基調を塗り固めて平気なのが気味悪い。匿名の暴力が行使されているような感じだ。長く大きく扱われるニュースではBGMを入れてないことから考えても、短いニュースに対する扱いが異なることは明らかだ。ニュースを一定の時間で見せるにあたって、長短が生じるのは理解できる。しかし、BGMをつけて処理しないニュースとBGMをつけて処理されるニュースがあるというのは、ニュースのもととなった出来事や事実への向き合い方に、制作者がはっきりと差をつけているからだろう。そこに日々のルーチン作業で鈍磨した制作者の感覚を感じとる。 最近テレビはほとんど見なくなり、活字でチェックしたニュース群から気になったものだけを、ヤフーのストリーミングかYouTubeのリストでチェックするのが、ニュース映像とのつきあい方になっている。