前打ち報道氾濫に見る無責任社会

日雇い派遣禁止は本決まりの方向との前打ち報道を見た。こうした前打ち報道を目にするたびに記者クラブ制度の弊害を思いださずにいられない。読者に対して情報源を明かさないまま、政府の政策方針を事前に入手し、大部分は匿名で報道する。そういう類のニュースがあまりに目につく。情報源や入手経過を明示せず報道する姿勢は、読者が自分自身で情報の価値を判断する契機を奪っている。情報を提供してくれた相手への配慮の糖衣に包まれて、書き手の意識は肝心の読者の方を向いていない。こうして報道する所作は、何が社会にとって有益な情報(ニュース)なのかというセンスを日常的に去勢されている現実を自覚していない。官庁のどこかの誰かが決めた決定事項を、報道機関という組織の名の下に、どこかの誰かが、報道する。しかもそうした記事には、その政策が実現したらどのような意義(有用性)があるかの解説までついていたりする。

いまだに、国民第一(パブリック・ファースト)で情報発信しないほうが、官庁にとって、報道機関にとって、都合がいいのだ。何が誰によって意思決定され、誰が伝えているのか、そういうことが何ひとつ可視化されないまま、責任の所在は曖昧なまま、ただ事態だけがのっぺりと進んでいく。そういう官庁とメディアの蜜月の論理が、世の中の情報流通をいかに歪めているか、そういう情報発信がルーチン作業になっている人々は、考えたことがあるのだろうか。伝統的メディアの人間の行動原理は、おそらく外野が何を言っても変わらない。行動を変えるのを期待できるのは、官庁の側の人間だ。打ち出される政策の中身について言いたくなることもいろいろあるが、それはそれとして、ともかく情報発信のあり方を変えて欲しい。国民第一に情報を発信し、建設的な政策論議に資するのが役割だと思い出して欲しい、官庁にはそれしきのスジ論がわかる人間はいないのだろうか。なにかしら前打ち報道された政策の所管担当者を情報漏えいの罪で告発でもすれば、行動は変わるだろうか。そうすれば官庁発の情報も、世の中の議論も、少しはまともなものになるだろうか。