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 与党は12日、75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度長寿医療制度)で焦点となっている低所得層の保険料軽減策に関して、所得判定方法を見直して「低所得」の範囲を広げ、より多くの人が軽減措置を受けられるようにする方向で検討に入った。6月末までに結論を出す。
 後期高齢者医療制度には約1300万人が加入しており、保険料は個人単位で負担する。具体的には、所得の多少に関係なく原則負担する均等割と、所得に応じた所得割から成り、均等割については低所得層を対象に、本来負担額から7割、5割、2割を差し引く3段階の軽減措置がある。
 ただ、均等割の軽減措置の対象となるかどうかの所得判定は世帯単位となっており、世帯主に一定程度の収入があれば、加入者本人が低所得であっても対象外となる。このため与党は、所得判定方法を世帯単位から個人単位に変更することで、対象者を拡大する案を検討することにした。
 これに対して厚生労働省は、介護保険国民健康保険では保険料の軽減判定方法は世帯単位となっているとして、後期高齢者医療制度についてのみ個人単位に見直すことには慎重。政府・与党として今週以降、具体的な扱いを協議する。
 同制度の運用改善をめぐってはまた、保険料の年金天引きを自治体による選択制とする案も浮上している。選択制とするには法改正が必要とされており、与党で対応を協議する。

とりとめのない思考メモ。社会保障の基本単位は世帯か個人か。機会の均等を徹底させるならば、個人単位にいきつくのは自明ではある。しかし、モノゴトはそう単純ではない。人は誰かと誰かが結びつくこと・協力しあうことで生まれ、そして一人で死んでいく。結びつくことの最小単位が家族を形成するとして、それが持続的に再生産されることなしに、社会は成立しえない。思うに社会保障の助けを必要とする何らかの困難とは、腑分けして分析すれば、極めて個人的なものである。だが個人を救済できたとしても、個人は死すべき存在であり、持続可能な存在ではない。そうした個人が他者と結びつくなしには、社会を再生産できない。社会保障とは社会を持続可能ならしめるための仕組みだと考えるならば、人と人を結びつけるのに資するのは、個人への助力なのか、人との結びつきの揺籃器たりえる世帯への助力なのか。どちらへの助力が正しいかは、単純には決まらない。ただ現在の日本の制度が世帯のみに偏重していることは、社会保障としてバランスを欠いているのだ。人と人との結びつきは、ライフコースごとに、多様に変化しうるものだということを想定できていない。