2007年の3冊

今年刊行された本で、運よく目を通すことができ、印象に残ったものを3冊あげるとすると以下。少しの立ち読みしかしてないので(高額だよ高額)リストにあげられない『財投改革の経済学』高橋洋一東洋経済新報社)は、間違いなく重要本。

戦後日本人が無意識に前提としてきた社会認識の枠組みの崩壊を、インターネットがもたらした新しいコミュニケーションの誕生とクロスオーバーさせ、言論が発せられる主体の属性によらないで評価される、今われわれが直面している革命的状況を描いたレポート。本書で使われる「われわれ」というキータームが読者に一定の自明性を呼び起こすほどには、日本社会はまだ単一的なのだと再確認した書でもある。1人が書いた本なのに、かつて20年近く前、多数の書き手が時代を描写するべく多角的にアプローチしていた、元気だった頃の別冊宝島を読んだような不思議な読後感があった。佐々木氏は、矢継ぎ早に出される本に圧倒されつつ、2007年、個人的に一番読んだ書き手。

戦後日本社会が自明視してきた労働市場におけるフェア(公正)の概念の転換をせまる書。これまでの公正とは、同一年齢者間の結果の格差を少なくすることだった。これからの日本は、年齢や社会的属性によらず市場への参入機会の格差をなくすことこそ公正だと理解し、社会制度も変えていかなければならない。海外の社会福祉の動向や取り組みを紹介しつつ、深い理念のレベルで提言を行なった書。蛇足だが、本書ではNHKワーキングプア3で紹介されていたような就業訓練に類する海外の取り組みも紹介されている。が、それはあくまで事例紹介の各論であり、主題は労働市場の構造転換をせまる理念の提示にある。題名が「ワークフェア」でなく「ワーク・フェア」である理由を読み取って欲しい。ワーキングプア3が展開した提言など、本質論を離れた薄っぺらな対症療法にすぎないことを、本書の読者は知るだろう。

  • 『新聞社』河内孝(新潮社)

上記2冊とも戦後日本の自明性が変化に晒されていることを扱った本だが、その共同幻想ともいうべき自明性の演出に高く貢献し、かつ、そうすることで利益を享受してきた存在が、新聞社だ。今の新聞社が拠って立つビジネスモデル自体が破綻の危機に瀕していることを、大手新聞の元経営幹部が本書で明かした。新聞社は公共の言論空間を提供するかのように一般に認知されてきたし、自認もしてきた。しかしすでに、紙面を覆う言論の大半は、経営から遊離した意識せざる偽善家(アンコンシャス・ヒポクリット)のものだ。そんな言論など、ビジネスはおろか言論の自由市場からも退出願わねばならない。佐々木俊尚氏は、新聞が公益性を確保するため非営利事業として生き残ることへの期待を書いていたが、そのような覚悟がある新聞人は、はたしてどれだけいるだろうか。