正規雇用の雇用保障が既得権であるのを直視しないマスコミ(1)

大田弘子経済担当大臣は所信表明を述べる経済演説のなかで、今後の成長戦略の課題として、生産性上昇、オープンな国づくり、人材活用の三つをあげた。なかでも人材活用の具体的処方箋として、労働市場に残されている六つの壁の克服を指摘した。六つの壁とはすなわち、正規・非正規の壁、働き方の壁、年齢の壁、性別の壁、国境の壁、官民の壁、である。今国会の焦点である労働ビッグバンは、国民一人ひとりが壁を打破し、成長の担い手となっていくための改革を目指している。


■第一六六回国会における大田内閣府特命担当大臣(経済財政政策)の経済演説
http://www5.cao.go.jp/keizai1/2007/0126keizaienzetsu.pdf


だがホワイトカラー・エグゼンプション論議の経過にみられたように、この重要性がどこまで世論に理解されるかはわからない。特にマスコミの労働問題についての認識、とりわけ「良識派」ふうのマスコミの認識が、トンデモレベルなので、労働市場改革の議論がまったくまともな方向へ向かわない。彼らは、労働問題といえば経営者と労働組合を主な情報源とし、労働市場全体を見渡す視野に乏しい。非正規雇用の問題を取り上げると、悲惨な事例を数件なぞり、あとは運動に目覚めた若者をとりあげて、今まさに新たな労働運動がたちあがりつつあります、といったトーンで記事は一丁あがり。たしかにそういった権利への目覚めは大事だが、ほとんどの場合、彼らは既存の労働法に照らした、自らの権利を主張している。そもそも労働運動など無縁で、既存の労働法の想定からこぼれ落ちた人々の声なき声など、マスコミの耳には届かない。


例えば、下記ブログは「良識派」マスコミのメンタリティーの典型例だと思う。下記エントリーでは、「非正規雇用の増加、ワーキングプアの社会問題化の原因は正規雇用者の過保護にある」とする意見は「都市伝説」だと断じている。この記者ブログは勉強になるエントリーも多いが、労働問題に対しては無邪気なほど自らを省みる視座に乏しい。足を踏んでいる人間は踏まれている人間の痛みがなかなかわからない、という言葉を思い起こさせる。


■踊る新聞屋−。: [ホワイトカラーエグゼンプション]に関連して 正社員を守るために非正規雇用があるというトンデモ誘導
http://t2.txt-nifty.com/news/2006/12/post_a1ab.html


思い出してほしいのは、バブル崩壊後に浮上した若年雇用問題である。若年雇用問題は、当初、若者の就労意欲のなさが問題だとして、若者の心理に原因を求める議論が多かった。それが、ようやく今では、中高年層の雇用保障を優先させる労働市場の構造にこそ一義的に問題がある、と社会的に認知されるようになった。この若年層の受難は、(就職)氷河期世代と名づけられ、今ではマスコミも構造的要因に焦点をあてた記事を書くようになってきた。この認識の転換は玄田有史氏が2001年に発刊した『仕事のなかの曖昧な不安』がもたらしたものだった。本田由紀氏らの『ニートって言うな』も、対立してるかに見えて、その成果をなぞったものだ。だが若年雇用問題がまっとうに剔出されるようになったからといって、受難者が救われるわけでもない。政府は04年に重い腰をあげ政策的対応にのりだしたばかりである。


正規・非正規の問題にも、この若年雇用問題の原因探しで見られた錯誤と同じ構図があてはまる。正規雇用が低い処遇に甘んじているのは、一義的には彼らの責任であると、正規雇用者は考えている。フリーター、ニート格差社会と、非正規雇用にまつわるテーマは、90年代以降常に話題になってきたが、現在でも全労働者の割合で3分の1、まだマイノリティの問題なのである。非正規が急激に増加した背景には、労働市場の構造問題があるのであって、本来それは正規雇用のあり方を問うているはずだ。しかし、あたりまえのように正規雇用で、しかも高給を享受しているマスコミ人には、問題の在り処が全く理解できない。


現在、正規と非正規との格差をどう埋めていくか、同一労働同一賃金が政治の場で議論されつつある。安倍政権の再チャレンジ策はフリーターの2割を正規雇用にするのが目標だ。だが、それでは恩恵を享受するのは、ごくわずかな割合に留まる。それでは既存の労働市場の構造を変えることとはならず、労働ビッグバンとは到底言えない。上記ブログの場合、別件では安倍政権を盛んに批判しているのに、労働市場に対する認識は、安倍氏とさして変わりがない。二者に共通するのは、非正規を正規に「引き上げる」ベクトルだけが、問題の解決だと考えていることだ。つまり、いま社会で克服すべき問題の原因は、非正規のあり方にあり、そちらを修正して正規にするべきだし、そうできると考えている。そこには潜在的なレベルであっても、正規こそ望ましい働き方であって、非正規は望ましくない働き方だと、差別的に観念されている。OECD日本経済白書〈2005〉 (OECD叢書)


日本の労働市場の構造問題を明確に指摘した一例が、OECDの対日審査報告書である。昨年の報告書は日本の格差問題に一章を割き、相対的貧困率が先進国中2位だと指摘して話題になった。格差を指摘する調査結果ばかりがクローズアップされたが、当然その報告書は、その原因も指摘している。だが、それこそ最も重要なのにもかかわらず、大きく報じらることはなかった。格差が生じている原因は「正規・非正規の労働市場の二重構造」にあるとし、「正規雇用の雇用保障の厚み」こそが問題視されていたからである。マジョリティに刃を向ける指摘は、巧妙に浄化されてしまった。実は前年、2005年対日審査報告書も、「労働市場の機能の向上」という一章を設け、既に労働市場の二重構造の問題性を指摘していた。労働市場の二重構造が、公正さと効率、両面を奪っている、としている。以下2005年の報告書を参考に書く。


この報告書では、15〜24歳の若年男子のパート従業員(非正規一般より狭い概念)が1990年以降、15%から28%へ倍増した、と指摘している。OECDの調査は下記リンクの研究者らの成果をもとにしているようだ。(集計表はリンク先にない。本では表で示されている)


■Issues Facing the Japanese Labor Market(Higuchi and Hashimoto)
http://www.econ.ohio-state.edu/Nori/docs/Paper_Japanese%20Labor%20Market.pdf


では、一般的な非正規雇用の割合はどのようなものだろうか。平成18年度版の労働経済白書には統計表第7表として「短時間雇用者数及び短時間雇用者比率」が集計されている。それによると短時間雇用者(週の労働時間が35時間以下のもの)の比率は、2005年で全労働者では24.0%、男子における短時間雇用者の割合は12.3%、女子における短時間雇用者の割合は40.6%となっている。短時間雇用者は非正規雇用よりも狭い概念だが、先のOECDの指摘と比較してみると、若年男子の非正規雇用の割合(28%)が他の年齢階級よりもいかに高いかが読み取れる。


厚生労働省:平成18年版労働経済の分析(本文版)
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/06/index.html
■主要労働統計表索引(上の労働経済白書の表部分)
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/06/dl/07.pdf


もっとわかりやすい図録もある。下記サイトを見ると非正規雇用が若年層、特に15〜24歳層で急激に拡大しているのは明白だ。この図録は男女別でグラフを横に並べているので、面白いことが読み取れる。女子の非正規雇用比率がどの年齢階級でも一般的に高い。だが15〜24歳の層が非正規雇用におかれる比率は、2006年では、男女でほとんど差がない、ということだ。今や若年層では雇用における「男女の壁」はかなり小さく、「正規・非正規の壁」こそ大きな壁として立ちはだかっているのである。(2月1日につづく)

図録▽パート・アルバイト等非正規雇用者比率(年齢別)の推移
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3250.html