科学離れの理由

1月某日。あるセミナーの最終日。これ以上ないほどの講師の方に、日本の科学離れの現状を、意識調査、科学リテラシーの習熟度、科学雑誌の減少など多面的な例をあげて話していただいた。科学リテラシーについて国際比較をすると、中国の若者の科学リテラシーがとても高いそうだ。中国が近年とり始めた科学教育の振興方針(科教興国)の成果らしいので、日本の先導的科学者の関心も、自ずと日本の若者の教育へ向かっている。結局なぜ日本では科学離れが進んだかについての突っ込んだ分析が語られることはなかった。そこを論点と考えていなかったのか、それとも皆さんで考えてくださいという趣向だったのか。個人的には、科学者が報われるシステムが存在しなかったからではないかと考えていた。戦前ならば国家のための科学という名目で、たとえ報酬において報われなくても名誉を得ることが出来た。ノーベル賞のような図抜けた名誉は、目標としては遠大すぎる。日本では報酬において、理科系エリートよりも文科系エリートが厚遇される状況があり、医者はともかく、イノベーションの担い手たる科学者があまり評価されない社会をつくってしまったからではないか、などと漠然と考えていた。 その数日後、下記の科学者の方によって書かれたよく似たテーマの記事を見かけた。同じく、まずは教育の重要性、それも実社会から教育現場へのフィードバックの重要性が説かれている。さらに単純に金銭に限られるわけではないが、適切な報酬の必要性が語られていた。これは理科離れ原因論に通じる話だ。そして、科学者に夢やインセンティブが失われているという話は、単に科学者に限らず、今の日本社会全体に通じる話でもある。


■生きがい論は若者に通用するか (宮田秀明の「経営の設計学」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070123/117507/

インセンティブという目に見える仕組みがないプロジェクトには、責任やリスク管理という発想が生まれにくいということだ