同一労働・同一賃金では、格差の不安は消えない

次期通常国会は雇用関連法案の提出が目白押しで、格差社会の進行をどう解釈し、どう対応するのか、激しい政策論争が闘わされる「雇用国会」となるだろう。さっそく民主党は政府・与党への対抗措置として、「格差是正緊急措置法案」(仮称)を提出する方針だという。


Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <民主党格差是正法案提出へ エグゼンプションの反対案
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070105-00000056-mai-pol


民主党の掲げる政策をみると、▽正規・非正規雇用者間の格差を改善するための「同一労働・同一賃金」制度の創設▽奨学金の対象者拡大▽年金生活者の負担を減らすため所得控除を元に戻す、を主要な内容としているらしい。民主党のサイトを見るとそういった案を出すだけではなくて、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入にも反対しているようだ。


民主党民主党は日本版ホワイトカラー・エクゼンプションの導入に反対する
http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=9437


民主党の掲げる同一労働・同一賃金制度の導入はぜひ実現されるべきだ。労働実態が同じであるのに、同じ対価がもたらされないなら、それはごく当たり前に言って、差別である。かつて一般的だった、夫は正規雇用、妻は主婦もしくはパートの非正規雇用で待遇格差を甘受しながら働く、「男性片働き型」の雇用慣行は男女間の差別とみなす向きもあったが、ことここに至り、正規・非正規の採用を便宜的に使い分けコスト削減をはかる形態にこそ差別がある、と認識されるようになってきた。


ただ民主党が、同一労働・同一賃金導入のキャンペーンをはるとき、「賃金」を主要課題とすることで格差社会の是正がはかれると考えているならば、それは民主党の支持基盤である連合など労働組合運動レベルの発想にとどまっている。連合は昨年、ようやく企業業績の回復をうけ、久方振りの賃上げを果たし、そのわずかばかりの成果を自らの労働運動の成果だと誇った。彼らの目は自らの雇用の安全と賃金だけに向かいがちだ。現在、労組の大半は、正規雇用者が支持政党の違いによって違った労組で乱立して運動する「余裕のある」人々の運動である。いま労組の担い手には非正規労働者の組織化に懸命だが、正規と非正規は、今の日本の労働市場において本質的に利害が対立していることに気づいている人は少ない。もしくは気づいていたとしても口をつぐんでいる。既に労組は組織率20%さえ切り、働き手の意志を代表するセクターとは言い得ない。本来なら厚労省が日本の労働者の「労組」であるわけで、今彼らが進めつつある改革の方向性を注視する必要がある。


同一労働・同一賃金はいまだ導入されていない以上、日本発祥の概念ではないだろう。英語を調べてみると、work pay equity、equal pay for equal jobsという表現が出てくる。そのどちらも「pay」が使われていて「wages」や「salaly」が使われているわけではない。つまり「賃金」ではなく、「支払い、報酬、報い」といった、より広い概念を指す含意がそこにある。正規・非正規の格差是正を考えるとき、まず踏まえるべきポイントは、なぜ企業は正規を抑制し非正規を拡大させてきたのか、ということだ。あたりまえだがコストを削減するためである。ではそのコストの差は一義的に賃金の差として表現しうるだろうか?


正規と非正規の差は、ボーナス、年功的賃金部分、退職金などあるが、それらは格差論議でほとんど話題にされない。それらは企業ごとに差がある。最もわかりやすいのが、社会保険料のコストである。企業は労使折半で負担しなければいけない社会保険料のコストを回避するため、非正規雇用を選ぶと一般的には言われている。この社会保険の部分ほど、正規・非正規のリスクの差が端的に現われる領域はない。正規・非正規間の均等待遇をはかろうとする場合、最も優先的に均等待遇がはかられるべきなのは、「賃金」という掴み金ではなく、社会保険料に相当するリスク部分であり、この部分の差別待遇を内包しているのが、現行の社会保険制度なのである。このリスクを同一にすることがセーフティネットのひとつの方法だ。もしも非正規労働者が同一労働をしていれば、本来なら不安定雇用を強いられているために、賃金で均等さを目指すならリスクプレミアムが上乗せされるのが正当といっていい。


しかし民主党の姿勢で気にかかるのは、小沢一郎が党首に就任したときに言った「年功序列や終身雇用こそ日本のセーフティネット」という発言である。しかも先頃発表された民主党の政権政策では、「終身雇用ををわが国にふさわしい重要なセーフティネットとして再評価」としたうえに、「官・民とも管理職については徹底した自由競争の仕組みを導入する一方、非管理職の勤労者については終身雇用を原則とする」と明記されている。


民主党 web-site 政権政策の基本方針(政策マグナカルタ)2006年12月
http://www.dpj.or.jp/magunacarta2006.html


こんなダブルスタンダードを許す発想こそが、格差社会を固定化し、再生産することになることがなぜわからないのだろうか?この社会主義を彷彿とさせる政策はいったい何なのか?管理職と非管理職とは別の国に住む国民なのだろうか?まさか民主党が社会の主要な構成員である非管理職の勤労者を十派一絡げに保護すべき存在だとみなすとは、思ってもみなかった。終身雇用、年功昇進・賃金の慣行を支えるべく発達してきたさまざまな制度こそ、個の自由を奪う企業中心社会を生み、今となっては生産性の向上にも寄与しない桎梏であるだろうに。(日本を代表する企業、トヨタが終身雇用を効用を説いているが、トヨタは子会社の期間工らにリスクを転嫁させており、一企業の有るべき姿として普遍性はみられない)


小沢一郎は野党生活がよほど骨身に沁みたのか、かつての憲法論、安全保障論、歴史認識を次々と変節させている。彼の著書『日本改造計画』は、アメリカのグランドキャニオンに立つと、フェンスもなく立ち入り禁止の看板があるだけで、危険に直面しても人を過保護にしない慣習が根付いていることに思い至る印象的なシーンが出てくる。彼の持論にあった規制緩和の主調はどこへいってしまったのだろうか?あるべきセーフティネットとは、かつての終身雇用の再評価などではなく、終身にわたって「雇用されうる能力」を身につける機会の提供とそれを可能にする先にあげた社会保険制度などの改革である。それを個別の企業を通じてではなく、市場と教育によって国家が責任をもって担うのが新しい国家の目指す道だ。先ごろの教育基本法の改正には賛成していないが、そういうモメンタムが働くのは一理あった。民主党の雇用政策は、基本的なところで国家の役割を見間違えている。同一労働・同一賃金を目指すはいいだろう。しかし、そんな程度で格差社会が解消に向かうと思ったら、とんでもない誤解だ。