双子の逆機能

実のある更新を再開して1ヶ月の時が経った。問題意識が重なる方からのフィードバックが、少しずつですが生まれています。ツカサグループ川又三智彦氏の日記で、特別会計のエントリーを紹介していただいことがわかりました。ありがとうございます。川又氏は『2017年日本システムの終焉』という本を出されていますが、参考にさせていただいています。なんらかの媒体の関係者もこちらを訪れるかも知れず、これを機に当ブログの社会観の見立てを少し書いてみます。2017年 日本システムの終焉   The End of Japan's System (光文社ペーパーバックス)

戦後の日本では、貧しき個人を支援するさまざまな政策が、それぞれ個別に理由をもち、豊かさを目指して導入されてきました。それらの国の政策は、直接各個人を支援するというよりも、企業に勤務する「男性・正規雇用・世帯主」を最優先に支援するシステムとして成長を遂げました。局所的には効率化をもたらすはずだった施策が、高度成長期以後には既得権化するようになり、今は全体効率を損なう制度疲労の政策が散見される状態に陥っていると考えています。(←ミクロの逆機能)
 
この個人をとりまく逆機能とちょうど類比できるのが、今の日本政府の状態のように見えます。日本政府の予算は、もともと国民が豊かになるために存在しているはずなのに、一般会計予算と異なる目的別の特別会計予算や財政投融資といったスキームが大きな役割を果たしています。それらも高度成長期以後、時を経るにつれグロテスクに発達し、予算全体の効率的な配分を損ねるようになり、膨大な財政赤字を招いてしまったと考えます。(←マクロの逆機能)

以上、個にとっての逆機能と国家にとっての逆機能、ふたつは労働市場を通じて密接につながり、共依存のような関係にあると考えます。 これら逆機能のスパイラルの原因は、個よりも「場」としての集団を優先させる、日本のさまざまな慣習や制度があったと仮定しています。「場」の信用を優先する日本社会の論理は、近代産業社会にはうまく適合しましたが、ポスト近代社会には不具合を生じるようになってきています。その関係を解きほぐす「逆機能の研究」が求められている気がしてなりません。もし展開させてもらえる機会が与えられるなら、詳細まで分け入り取り組みたいテーマです。現段階では事実関係の確認をしている状態ですが、取材を加えればもっと書き込んでいくことは可能です。