切り取ることのできない言葉。死刑制度について語った言葉で、これほど目の離せない、ひとつながりの言葉に出会ったことがない。即答でこれだけのことを語っていることに驚嘆する。自分が死刑制度について考えるとき、今後幾度となく参照することになると思う。

  • 光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<2>「どこかで覚悟していたのではないか」 - 毎日jp(毎日新聞)から一部引用。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080422mog00m040014000c.html

 −−死刑というものがあるからこそ迷い、悩んだと聞いた。判決を聞いてどうか。
本村 死刑という問題は、法治国家にとって古くて新しい問題で、答えはないものと思います。ただ、人の命をもっとも大事だと思って尊ぶからこそ死刑という制度があった。この判決を受けて、死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。ただ、それを論じても意味のないことで、どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。死刑というものがあって、人の命をどうこの国が、法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、これだけの世論の反響を呼んだ。当然いろんな議論があります。いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。