雇用保障のフラット化

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池田信夫氏のブログが、昨今の偽装請負をめぐる論議が、既存の法制度に引きずられた皮相なレベルの論議に留まっていることを指摘し、キャノン・御手洗会長の参考人招致が非生産的な吊るし上げの場になることを懸念している。特にこの一文が肝に思えた。 「厚労省の考える労働者保護とは、いま雇われている労働者の保護にすぎず、もっとも弱い立場にいる失業者は視野に入っていない」

厚労省の労働行政の中核は、労働基準法の対象となる、事業所に雇われた労働者を保護することにある。この場合、事業所に雇われる形式さえ整えば、雇用者となり、労働者としての保護を受ける。ここにはとりあえず正規であれ非正規であれ、労働法が及ぶ。しかし、それ以外の者はたとえ働いていても労働者として保護されはしないし、失業者になると、所得を得ているものが享受している保護からすらも排除される(失業給付がある場合は別だが)。

労働市場における雇用保障の格差は、ざっくりと、正規雇用者>非正規雇用者>労基法上の雇用関係を証明しづらい従属的請負やスポット派遣の人々>失業者、という範疇に分類できる。戦後の日本は期間の定めなく働いている正規雇用者を最大限に保護することが国民厚生的に効果があった。「正規雇用・男性・世帯主」が最大限の利益を享受できるようにする制度が高度成長のなかで、地下茎のように発達した。この標準モデルからこぼれ落ちた、非正規・女性・非世帯主は、雇用保障を含めた、さまざまな社会保障からはじきだされた。

当ブログを継続的に読んでいる人には、すでに耳タコのテーマだが、格差社会の問題の核心は、正規雇用にある人をとりまく制度の問題だ。それは奇を衒った表現でもなんでもなく、去年政府が格差の拡大を認める一因となった調査を発表したOECDからも、日本経済の課題として正規雇用の雇用保障の厚みが挙げられている。中高年層を中心とした正規雇用の雇用保護が若年層の失業(氷河期世代)を生んだのは明らかだ。正規と非正規の雇用保障をフラット化すること、柔軟な労働市場へと向かうこと、ついでに言えば失業給付を充実させることは、いずれもセーフティネットとしての役割をはたす「雇用保障」なのだ。


偽装請負と言えば、朝日新聞が告発キャンペーンをはったことで一気にメジャーな言葉となった。だがこの朝日新聞のキャンペーンが偽善に満ち満ちていていることは、朝日こそ我らの味方だと快哉をあげた非正規雇用者やワーキングプアにこそ、もっと知られるべきことだ。朝日新聞では法定期限で雇い止めすることを前提にした100%子会社の派遣会社を活用し人を使い捨てている。派遣ではない非正規状態で働く者も多く、労働者性をめぐって裁判になっているケースもあるし(ヘラルド朝日労働組合(IHT/Asahi Employees Union)が当事者のサイト)、今年の8月には、社内に偽装請負が少なくとも11例あったことを、会社として自社内の労組に認めている(週刊新潮9月27日号)。

裁判をしているヘラルド朝日の労組員らは交渉の過程で、「編集方針と労務方針は違う」という言葉を会社側から投げつけられている。かつて「ジャーナリスト宣言。」などと、広告会社に依頼してまでブランドイメージ向上をぶちあげた朝日新聞の裏の顔はそういったものだ。朝日で働く、派遣・委託先社員・嘱託・アルバイトといった非正規雇用者を合わせれば4分の1にも達している(前掲週刊新潮)。

ちなみにこの朝日新聞偽装請負キャンペーンに先日、第7回早稲田ジャーナリズム大賞が贈られている。この賞の選考委員には、鎌田慧氏、内橋克人氏といった「弱者の味方」としてジャーナリズムで活躍してきた人々も就任している。彼らが活動の初期の頃に身を寄り添わせた弱者は本物だったかもしれないが、今は労組員をマーケットにした癒しのジャーナリズムを展開しているようにみえる。案の上、この朝日の偽装請負キャンペーンは新聞労連ジャーナリスト大賞優秀賞も受賞している。

正規雇用の雇用保障を温存したままにせよと主張し、非正規雇用の困窮を憂えてみせる人は、本心では他者の貧困にたいして関心が無い偽善者に思える。「『丸山真男』をひっぱたきたい」の赤木智弘氏は、そういうサヨク、そういうエセリベラリストを告発している。彼の論考が朝日新聞の『論座』で発表されたのは、朝日の偉大なる鈍感さのなせるわざだ。

ひとこと言っておかなければいけないのは、キャノン・御手洗氏の請負法制に問題があるとの発言、ただそれだけは正しいとしても、会長を務める日本経団連ともども、彼は雇用保障に格差を設けるのを自明視している人物だし、キャノンの一経営者としても終身雇用至上主義者であって、格差を固定化する発想の持ち主としか思えず、労働市場全体を見渡した構想をもつ人物だとは、当ブログも考えていない。(次回、関連エントリー


(付記:先日、池田氏濱口桂一郎氏がブログ上でバトルになる出来事があったが、両ブログの愛読者である自分からみれば、二人の労働問題に対する認識の大枠と改革の方向性は、ほとんど変わらない。濱口氏のほうが弱冠、労組への期待が強く感じられる程度のことだ。今後の世の中の議論のためには、とても残念な出来事だったと思っている。もし池田氏がここを見ることがあるならば、濱口氏のこのエントリー(EU労働法政策雑記帳: 御手洗会長は国会で堂々と論じて欲しい)とそこにあるリンク先を読めば、共有できる感覚があると思う)