• EU労働法政策雑記帳: 三者構成原則について

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_a044.html
このエントリーを読むと、濱口桂一郎氏は、非正規雇用者を組織化した労働組合しか、非正規労働者の声を代表するものはないと判断しているようです。この考え方には違和感があり、八代尚宏氏の認識の方が妥当なものだと当ブログは思います。非正規労働者を労働者代表に加えよという発想は、海外にそのような運営の事例があるのでしょうか。 そもそも持続的かつ満足できる雇用を保証されていない非正規労働者は、組織化されて労働者としての代表性を維持し続けるのは困難です。しかも日本のように正規と非正規の間に著しい格差があり、両者の利害が本質的なところで対立する状況にある場合、どうしても現状において強者である正規雇用者の組織する労働組合の影響下におかれがちです。政労使三者協議体制で労働法制を検討するというのであれば、声なき声を汲みとっていくのは公益代表たる「政」の役割と考えざるをえません。政治との比喩を試みるなら、組織化されない無党派層も決して無意見ではないのであって、それら意見をくみ上げていく発想が、立法関係者には求められると思います。

既存の労働法制だけを前提として労働者保護を考える労働関係弁護士らの議論は、既存の雇用者の権利を強化する方向でしか動きません。彼らは非正規を正規の待遇に格上げするという方向でしか発想しません。論理的に考えれば、正規の雇用保障を非正規とすり合わせる方向に引き下げるという選択肢が存在するし、そのことを日本の格差拡大に警鐘を鳴らしたOECDが提言しているわけです。主流派たる正規雇用層に不利益をもたらす提案を、立法府もしない、労働組合もしない、ジャーナリズムもしない、というのが現状です。デモや集会をして、ようやく声をあげはじめた非正規雇用者、ワーキングプアなどとメディアにとりあげられているような人々は、労働組合系の人々と実は利害が対立していることを虚心坦懐にみつめるべきでしょう。連合の幹部などは、そこここで非正規との格差を憂い、良心の呵責を口にしますが、具体的に自らを公正な競争条件に晒すような提案は“絶対に”しません。


先の城繁幸氏のエントリーでは、キャノンの年功+職務給(役割給とキャノンは呼ぶ)の賃金体系が、今のところ日本の主流派の企業では精一杯の先進的な取組みであると見ているようです。実はキャノンは、会長の御手洗冨士夫氏が、終身雇用を絶対に堅持すると宣言しているような企業であって、雇用面では日本に特殊な雇用慣行を残存させている企業です。それでもこの程度の企業内部の雇用改革が、マスメディアに取りあげられるとどうなってしまのかというのが、以下の朝日新聞の記事でわかります。

  • asahi.com:統一闘争阻む「役割給」 キヤノンなど導入進む - 経済を読む - ビジネス

http://www.asahi.com/business/topics/TKY200703110035.html

朝日新聞にかかると成果主義的な賃金体系を導入すると、企業内の労働者の団結が失われ労使交渉が難しくなるとする切り口で書き立てられます。労働者の権利が奪われるといったパターンの筆致で報じ、弱者の味方、労働組合の味方、朝日新聞のできあがりというわけです。偽装請負個人請負の問題を取りあげ、キャノンや松下の経営姿勢を叩く朝日新聞が、社内で働く非正規雇用者を差別的待遇に放置し、一部では裁判闘争にまで至っていることは笑うに笑えないエピソードでしょう。彼らの言論活動は、自己保身と経営への奉仕には向かうけれども、自己省察に向かうことはないのです。

ホワイトカラーエグゼンプション論は朝日のような論調のマスコミによって捻じ曲げられ、内閣の各諮問会議が発する提言もまともに議論されず、その基本線から否定されかねない情勢です。労働市場抵抗勢力は、正規雇用をとりまく「制度」であって、郵政民営化論のように分かりやすい敵が設定できるわけではありません。最大の抵抗勢力は、現状の多数派勢力です。その既得権に切り込めるのは、哀しいかな政府の主導権しかみあたりません。日本でもフランスの政治状況と非常によく似た、政党と支持者たる社会階層(社会集団)の再編成が起こっているのを感じます。