はてブ雑感

はてブを使い始めて11ヶ月が過ぎた。きりの悪いところで考察するのもなんだが、ブクマ数が6000を超えたことだし、たまには振り返ってみないと、情報収集がただの自己目的に堕する。これまでのところ、つまらない事件をブクマしたりしていることもあるものの、基本的には自分の関心に忠実で心強いデータベースになっている。個人的な関心度の高いテーマについて情報を取り出したいときは、ぐぐるまえに自分のはてブを検索するようになった。有料データベースをリソースとして手軽に利用できない自分にとっては、とにかくありがたい。これを活かすも殺すも自分次第だというプレッシャーを感じたりもする。
これまでのニュースのスクラップの歴史を振り返ると、学生以来、紙の新聞をとっていた頃は、クリアファイルに定規で切り落とした記事を、ひと月に1ファイルとして放り込んでいた。見返すことはほとんど無く、記事の中身の記憶は曖昧で、執筆者の名前が記憶に残った。その後情報摂取がネット中心に移行し、気になる記事は、紙コピ(のちインターネットスグレモノ)でスクラップするようになった。さらに2003年にブログが登場しサービスを利用するようになると、記事をリンクと引用でアーカイブするようになった。著作権上の問題が常に気になったけれど、行政発の情報だったり、公共性がある問題だと判断したら、ウェブ上に残すことを心がけた。
その後はてなを利用するようになると、はてな言及日記という、リンクをソーシャルに可視化する機能があることに気づいた。思えばこれはソーシャルブックマークとほぼ同じ機能を果たすものだ。はてなダイアラーに限られるものの、関心を同じくする人の存在とその評価がわかるのは面白かった。言及日記こそ僕がはてなを利用した最大の理由だ。それに気づくと記事リンクを残すのが面白く、しかも作業としては楽だったので、ブログ内にリンクを残し、後から検索することを目論むようになった。だがこれはクリアファイルと同じで後から見返すことはほとんどなかった。
そして2006年、はてブ登録数に制限がないことに気づき、利用を始めた。100字コメント欄に記事の要点をコピペしブックマーク、コピぺしきれなければスグレモノを使ってスクラップという手順だ。紙をスクラップしていた頃は執筆者が記憶の手がかりだったけれども、こんどは記憶の鍵はタグづけで決まる。かつてはモノゴトを属人的に記憶していたのが、タグによりテーマ別に記憶する傾向が強くなったと言える。タグづけは、あまり散漫にならないように、複数の要素をもつ大きな記事でも、要素を最大限カバーするタグはつけない。見出しを記憶でたどる検索で充分だからだ。見出しすら記憶に残らない程度のものは、要らない情報だと、どこかで見切りをつけないといけない。
そして最近、グーグルノートブックがリリースされた。事後検索の便利さを考えるとこれがスグレモノが果たしているスクラップ機能を代替していくような気がする。現在、はてブ利用者は8万人で、日本のブックマークサービスでは突出しているものの、そんなに大きな数じゃない。知る人ぞ知るサービスに過ぎない。これでははてなのサービスとて安泰ではないと思う。ブクマを検索するとき、タグを階層的に辿っていくことはできるけれども、複数のタグを指定して検索できないし、コメントスペースがたった100字だし、まだまだ改善の余地がある。
今後グーグルがソーシャルブックマークサービスを日本で本格的に開始してくるような気がする。ブクマ数やカリスマユーザーの編集に応じてリンク先を絞り込めるサービスまでついたら無敵だ。ウェブの世界は群雄割拠の戦国時代だとひしひしと感じる。少し話はずれるが、最近海外の動画サイトやオープン系SNSを眺めていると、個人と世界が1対1で向き合うことが現実のものとなっていることを痛感する。mixiですら積極的になれない自分には怖いぐらいだ。さらりと公開している人が多いのかもしれないが、本当に本当に本当にすごい時代になったものだ。