<われ>なくして<われわれ>なし(2)

(1からつづき)ジャーナリストの今井一氏が、大阪市議会の委員会において、当該市政記者クラブ所属の新聞・テレビの記者には認められている傍聴の許可を求め、大阪市に対して起こしていた損害賠償請求訴訟の判決が、先月16日、大阪地裁で下され、今井氏側の一方的な敗訴となった。大阪市は委員会傍聴に関しては、市政記者クラブ所属の記者のみを委員長が許可するという先例を踏襲してきたとされる。判決で裁判長は次のような判決理由を述べた。
■大阪地裁が請求を棄却
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/antena_pt?v=vol643

西川知一郎裁判長は、クラブ所属の記者同士の相互規制などを通じて「報道に係る一定の行為規範、価値基準が共有され、正確な報道が担保される」ので、先例は合理的であり違憲ではないという判断を下した。

記事によると、委員会傍聴を記者クラブ以外のジャーナリストや市民に認める自治体は存在している。それでいてこの判決が下され、さらに在阪の新聞・テレビは、この裁判を黙殺しているのだという。この判決は、記者クラブに属するメディアだけが<われわれ>の行為規範・価値基準を共有しているのだとみなしている。大阪市の市政記者クラブの連中は、このような司法によるお墨付きを、しおらしく受け入れているらしい。


この裁判は、ジャーナリストの寺澤有氏が提起した記者クラブ訴訟を思い起こさせる。寺澤氏の裁判も、既存のメディアのほぼ黙殺に遭ったが、寺澤氏の場合は警視庁記者クラブへの参加を求めるほぼ前例のない試みだった。今井氏の場合は、公開の前例もあるうえ、委員会傍聴が推奨されている自治体まである。大阪市といえば職員厚遇はじめ、税金の無駄遣いが指摘され、ジャーナリズムによる監視がいまこそ必要な事例だろう。そのための取材を実績あるジャーナリストが行おうとして排除されているのである。しかもそれを記者クラブの連中が追認している。


また寺澤氏、今井氏のように直接的に行政を対象とする取材ではないが、法律上公共性の担い手とされている放送局を取材しようとして、放送記者会という記者クラブが露骨に妨害するという事態も起きている。この事例では、ライブドアの記者を排除するときに、放送記者会の幹事社である時事通信の記者が、「国民に代わってわたしたち記者がちゃんと取材しますから。そういう取材は取材とは言わない、嫌がらせですよ。記者会見の妨害ですよ、出て行ってください」と言い放ったという。

livedoor ニュース - 『あるある』渦中フジ社長、記者クラブ員と豪華宴会(上)
http://news.livedoor.com/article/detail/3011772/


このような振る舞いをマスメディアはいつまで正当化できると思っているのだろうか。知る権利や、表現の自由といった権利は、本来的には個人の尊厳に基づくものであって、メディア企業に占有されるべきものではない。メディアが代表するとされる<われわれ>とは、個である<われ>の基本的人権に貢献する限りで、認められるものだ。既存の<われわれ>の指し示すものが不透明化しているのに、それを無条件の前提として集団性を守ろうとすることは、<われ>としての個の営みを握りつぶすことに他ならない。<われ>はどのような時代に生かされているのか、その誠実な問い直しから<われわれ>についての共通了解は立ちあがってくる。個としてのジャーナリストの活動は、そういった営みの発露だろう。既得権に拘泥するマスメディアの振る舞いは、あまりに時代錯誤だ。記者クラブに属さない記者たちの行動を犬死させるわけにはいかない。