■番組捏造再発防止、計画提出を放送法で規定・総務省方針
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070222AT1G2102H21022007.html

総務省は21日、事実を曲げた内容の番組を放送した放送局に再発防止計画の提出を求める措置を放送法で規定する方針を決めた。今国会に提出する放送法改正案に盛り込む。関西テレビの情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造(ねつぞう)問題を受けた対応だが、政府による報道機関への監督強化にもつながりかねず、「報道の自由」を巡って懸念する声も出ている。安倍晋三首相は21日夕、記者団に「報道の自由に対する権力の圧力はあってはならないが、捏造はひどい話だ。それに対応があるのは当たり前」と述べ、法改正に前向きな意向を示した。(07:02)

あるある問題は、案の定、政府の放送への監督権限を強化する方向を招いている。民放連は反省の姿勢をアピールすべく関西テレビの会員活動を停止させたりしている。でもそれで、関西テレビにデメリットなどあるのだろうか。おそらく放送界は政府提案の解決策をあっさりのむだろう。また、NHKの国際放送について政府が放送命令を出すと決めたとき、自民党小委員会は支持を打ち出した。これに対し多くのメディアは、政府の権力行使の横暴だ、NHK(放送)の独立性が損なわれると非難した。だが事実上の国営放送が担うべき放送の中身とは何か、議論は進まない。(最近自民党の小委員会は少し主張を変えて、放送法の命令規定(「命ずることができる」)を要請規定(「求める」)にするか、もしくは廃止まで含めて検討するよう、総務省に提案している。このトーンダウン?の真意はよくわからない。)

あるある問題と放送命令、この二つの経過を評して、権力側による監督権限の一方的な強化を読み取る論調もあるが、そういうことではないのではないか。これら監督官庁による権力行使と放送局の服従の構図は、総務省と放送局両者が「放送」という業態の特権性を維持するための、お約束の範囲の中で演じられている出来事と理解すべきではないか。どちらも放送の公共性を理由に、権限を強化したり、しおらしくふるまったりしてみせている。なぜか、手なずけるほうも妥協するほうも、放送が公共性の担い手だという枠だけは疑おうともしない。両者のやりとりが、放送免許停止の条件といった具体論に向かうことは、ない。制裁と自粛の曖昧なカップリングこそ、両者の最高の幸福なのだから。