北欧の高福祉に理想を見出す前に(2)

格差社会を批判するため、他国の社会政策に理想を見出し、参考にすること自体は、なんらおかしくない。しかし他国で実行されている手厚い社会保障を紹介するばかりで、「○○国では」を羅列する「ではの神」の言は、ただの甘言にみえる。そのての議論に魅せられている人は、彼の国が手厚い社会保障を実現する背景には何があるのか、日本が汲みとるべき含意とは何か、その深層をみつめる必要がある。


例えば、内橋克人『悪夢のサイクル〜ネオリベラズム循環』2006年、という本がある。アメリカ発の経済的価値観を一喜一憂資本主義と呼び、その思想的源流として経済学者、ミルトン・フリードマンを名指ししてこき下ろすのが主要なテーマとなっている一冊だ。だが、先ほど(1)で紹介したように、アメリカは日本と比べてもかなり安定的に成長を遂げており、新自由主義に則れば激しい景気循環に見舞われるとする内橋氏の議論は、ご本家アメリカの歴史と単純に矛盾している。悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環


内橋氏の本では、ネオリベラリズムの席巻によって混乱に陥ったとするラテンアメリカ諸国が紹介されたあとで、目指すべき社会として北欧諸国が紹介される。フィンランドノルウェースウェーデンデンマーク。これらの国は、弱肉強食の資本主義と違った共生経済の理念を体現する国であり、社会的格差を許さない国民的な合意があるという。北欧がITに強いのは地方との情報格差を許さないコンセンサスの現われであるとされ、フィンランドのブロードバンド普及率がOECD諸国でトップとして、まず紹介される。フィンランドは経済の国際競争力でもトップ、学生の学力調査でもトップ。さらに風力発電をはじめとする再生可能エネルギーの開発で目覚しい成長を遂げたデンマークが次に紹介されている。これらの国は内橋氏が理想社会のモデルとして主張する、F(フーズ・食糧)、E(エネルギー)、C(ケア)を自前で満たす地域自給自足圏をつくりあげているとされる。確かに達成された成果だけをとり出すと、そこには目指すべき理想社会があるようにみえる。


一般的に北欧に学べとする内橋氏のような論が日本で否定される場合、高い国民負担率を課すことは現実的には不可能だという点が反論では一番にもち出される。日本の国民負担率の対国民所得費は37.7%(2006年)。スウェーデンは71.0%、デンマークは72.7%(いずれも2003年)。つまり北欧は租税負担と社会保障負担をあわせると日本の約2倍の社会である。この高負担を現実化していくのは、かなりのハードルがある、と多くの人が思うだろう。

■国民負担率の内訳の国際比較(日米英独仏)(日加伊丁瑞 )
http://www.soumu.go.jp/czaisei/czaisei_seido/ichiran02_k.html


北欧には高福祉があるから高負担の国民的合意がある、それを見習うべしとするのが北欧を称揚する者の発想だろう。内橋氏は、デンマーク以外の3国が90年代初頭、日本と同様に不良債権処理に苦しみつつも、短期的な激しい企業淘汰によって経済の混乱を解決した背景に、適切な(=日本と比べて手厚い)社会保障があったと書いている。企業は潰れても人は潰れないシステム(がある)とも書いている。だが、不思議なことにその詳しい内容は言及されていないのだが。


たしかに北欧は高福祉国だから、失業しても、他のEU諸国より期間も金額も充実した失業手当が給付される。だがそれだけなら福祉へのフリーライダーが発生してモラルハザードが起きかねない。では日本と比べて何が決定的に違うのだろうか。日本と北欧が決定的に違うこと、それは柔軟な労働市場である。雇用が流動的で、正規・非正規といった雇用形態による差別がなく、互いの移行が可能な条件が整えられた労働市場である。これこそが日本が学ぶべき核心であり、社会保障の充実が一義的に意味をもつのではない。


例えば労働市場のあり方として、今もっとも注目されているデンマークの場合、下記サイトをみれば、1年間に転職する労働者の数は労働力人口の約3分の1に当たる約80万人にも及ぶことが経済省統計局のデータから分かっている。2006年に発表されたEU加盟国中の転職率は、デンマーク、イギリス、スウェーデンフィンランドの順にならぶ。ネオリベラリズム批判論者が嫌うアメリカやイギリスと北欧諸国はいずれも高い国際競争力をほこるが、両者に共通するのは、柔軟な労働市場なのだ。

デンマーク労働市場労働政策研究・研修機構
http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2006_4/denmark_01.htm


アメリカと北欧、いずれも高い国際競争力をほこる国は、柔軟な労働市場があればこそ、景気循環の波に耐えられる。社会保障は主たる経済活動を下支えする制度であって、経済活動を一義的に生み出すのは市場であり、その市場の構造を決定づける労働市場のあり方が最も重要だ。グローバル化が進んだ90年代以降、非正規雇用がさほど増えなかった国は、イギリス、アメリカ、デンマークといった、正規・非正規を差別的に扱わない国である。下記サイトにはOECDの Labour Force Statistics を用いた、パートタイム労働者比率の推移がわかる表がある。日本は一貫して非正規雇用を増やし、この表では2002年段階で25.1%となっている。ただ日本だけがパートタイム労働者を週35時間未満として換算しているので(他国は週30時間未満)、実際の比較では表の数値よりさらに上昇する。

■非典型雇用の概念と現状−国際比較を中心に(P7)(労働政策研究・研修機構
http://www.jil.go.jp/institute/kokusai/2004/documents/200505Ogura.pdf


こういう部分が北欧礼賛論者から紹介されているのは目にしたことがない。なぜなら、そういった論者が語りかける受け手の層が望まない現実にふれなければならなくなるからだ。内橋氏の善意は、あまり疑いたくないのだが、彼の論は特定のマーケットに向けて都合のよい議論を展開しているとしか思えない。デンマークの雇用保障は薄いと表現できるもので、事業主が比較的容易に解雇が行える(賃金も年功序列的ではない)。転職率から推測して他の北欧諸国も同じだろう。これらの国とネオリベラリズムと揶揄される英米は、いずれも解雇規制のような制度的な雇用保障が薄い。つまりそれに変わる柔軟な労働市場の存在こそが雇用保障を実現しているのだ。解雇規制の緩い国のほうが、国際競争力が高く、非正規雇用がむやみに増加せず、経済格差も深刻化していない。(アメリカの格差の大きさは事実で特殊な社会と見受けられる面もあるが、それはアメリカの生産性を奪うには至っていない)こういった市場の存在こそが社会の底上げにつながることが、給付的な高福祉以前にきちんと理解されなければならない。日本の働き手にとっての機会を最大化し、成長力の底上げをはかるには、柔軟な労働市場の実現こそ、高福祉を望むよりも先に、国民的合意となるべきことなのである。(デンマークについては下記サイトも)


■「多様な就業形態に対する支援のあり方研究会」における議論の概要について(P19)
http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk073/zk073_08.pdf


追記(2月22日):OECD統計をもとに先進国の中で所得格差の大きさが最大とされるアメリカは、雇用の流動性が高いため、生涯所得でみた格差はイタリアと比較しても小さい、北欧も非正規から正規へ移行することが可能なので生涯所得格差が小さい、とエスピアン・アンデルセンによって指摘されているとのこと。
http://www.amazon.co.jp/New-Egalitarianism-Anthony-Giddens/dp/0745634311