正規雇用者の働きすぎはなぜ起きるのか

マスコミが労働環境の悪化を話題にするとき、非正規雇用の悲惨さを扱う一方で、必ずセットのように正規雇用も過酷だといった話を対比として持ち出す、と以前書いた。その手の文章が、朝日の記事に現われたのでそれを端緒に正規雇用長時間労働の問題を考えたい。正規・非正規雇用の間にある問題を「劣化する労働条件」なる切り口で等号で結ぼうとする今どきのマスコミの発想の貧困さにもメスを入れたい。


asahi.com:劣化する労働条件 - 経済気象台 - ビジネス
http://www.asahi.com/business/column/OSK200701200009.html

労働時間の国際比較を見てみよう。週50時間以上働いている労働者が日本28%、アメリカ20%、イギリス15.5%、ドイツ5.3%、フランス5.7%、イタリア4.2%である。
 次に年間休日数は日本がアメリカと同様で127日、イギリス137日、ドイツ143日、フランス140日である。
 最低賃金を含め統計の多くは、先進国のなかでは日本の労働条件がよくないことを示している。この労働時間の長さや、有給休暇を取得しない(できない)という現実は、残業手当が欲しいからなのだろうか。そうではないだろう。
 家に仕事を持って帰る風呂敷残業を含め、日本のサラリーマン(特にホワイトカラー)に「無給の残業」がとても多いことは、少し職場の事情を知っている者なら、すぐに気がつくことだ。現実の忙しさはもとより、人事評価では「会社への姿勢」や「仕事への姿勢」がカウントされるので、ますます帰れなくなっているのである。もうずっと前から多くの日本のサラリーマンの残業手当は労働基準法から事実上「適用除外(エグゼンプション)」されている。
 労働法制の改定案から「エグゼンプション」が削除されるのは、けだし当然といえよう。残業の規制は36条協定の運用で事足りる。労働法制の改定は残業手当の割増率と最低賃金の引き上げを決めれば十分であろう。
 経済財政諮問会議は正社員(組織労働者)への攻撃を強めている。彼らが非正規雇用者よりも相対的に恵まれていることは事実だが、賃金をはじめとして近年、正社員の労働条件もまた急速に劣化していることは各種データで明らかになっている。日本経団連はしきりと国際競争力を主張しているが、これだけ先進国のなかで悪い労働条件下にありながら、なお競争力がないとするなら、問題は経営者の能力にあると思えてくるのである。(遠雷)


このような記事を書く人物は、なぜ日本の正規雇用者が働きすぎに陥るのかを、まず理解していない。この記事は日本で残業が横行する理由として、仕事に取り組む姿勢を評価しがちな人事評価制度の存在を挙げている。おそらく、それによって助長される社員どうしの横並び意識も問題だと考えているに違いない。このように企業内部の論理や、人々の同調圧力が、働きすぎ社会をもたらしていると考えている人は、ともすれば多数派なのかもしれない。古くからの日本人の勤労精神の伝統を持ち出し、精神面に原因を見出す人も、かなりいる。もう少し深く考える人は、グローバル競争の激化による業務量の増加を理由に挙げるかもしれない。


日本が働きすぎ社会に陥る理由を、雇用問題に関心の浅い人が、「推測」や「観察」するのなら許せる。しかし仮にも社会のオピニオンを主導するマスコミが、この程度の認識では困るのだ。先に言い切ってしまえば、日本で長時間労働がなくならない理由は大きく二つ。残業をさせることがコスト的に安上がりなためと、外部労働市場が存在しないためである。人々の意識ではなく、制度のほうに問題がある。


働き手の多くは、残業するとき、そこに仕事があるからには割増コストをかけてでも業務達成に励むのは仕方ない、と自分を納得させていることだろう。ときには、残業代を通常の賃金と一体的なものとして計算し、生活している者もいるだろう。信じられないことに残業尽くめで過労死にいたる者とている。このように残業が横行するのは、経営者と被雇用者なかんずく正規雇用者、双方の利害が一致しているためだ。


法的に残業代は二割五分以上五割以下の割り増し賃金を払うことになっているので、一見、コスト的には割高にみえる。だが、残業こそ割引労働と呼ぶにふさわしい、割りに合わない労働である。以下、日本で残業が横行する理由を制度面から解明した、久本憲夫『正社員ルネサンス中公新書)2003年、の成果を参考に書き進める。正社員ルネサンス―多様な雇用から多様な正社員へ (中公新書)


割増残業手当の根拠法は、ホワイトカラー・エグゼンプション論議でも話題となった、労働基準法、37条「時間外、休日及び深夜の割り増し賃金」という条文である。この条文に、時間外もしくは休日労働には賃金の二割五分以上五割以下の範囲内の割増賃金を、深夜労働には二割五分以上の割増賃金を、といったことが定められている。


この37条のクセモノは、「四 第一項及び前項の割り増し賃金の基礎となる賃金には、家族手当、通勤手当、その他厚生労働省令で定める賃金は算入しない」なる条文である。これによって割増賃金の算定基礎となる賃金が極めて限定的なものと決められている。この条文のおかげで、企業にとって残業で働かせることは、割増した費用を払うことにならないのである。この残業をめぐるカラクリを世の中のいったいどれだけの人が知っているだろうか?税について考える習慣を去勢されている日本の源泉徴収サラリーマンには、まず知られていないのではないか?マスコミでもこの問題をとりあげている記事は寡聞にして見たことがない。


企業が働き手に払うお金は、本来的には「総額人件費」で考えるべきである。たとえば人件費とは以下のようなものが含まれる。月例賃金、通勤手当、ボーナス、保険料の企業負担部分(健康保険、厚生年金、雇用保険労災保険介護保険、児童手当拠出金)、住宅手当、家族手当、慶弔見舞金、文化・体育・娯楽費用、(あるならば)私的医療保険労災保険費用など、そして企業年金負担分、さらに退職金積み立て、これらを含めてはじめて「総額人件費」が明らかになる。


通常、残業手当の算定には、人件費のごく一部、月例賃金部分が用いられるだけである。この部分だけを二割五分上乗せするだけで、残業代として成立する。ここに時間外労働のほうが割安になるカラクリがある。製造業やサービス業のうち、時間決めで働くことが多い職場の正規雇用者が恒常的に長時間労働になりやすいのは、それがコスト安になるからだ。



(ちなみに保険料のうち、、社会保険の算定ベースは、標準報酬月額といわれるもので、超過勤務手当てが増えればこれらの企業負担は増える。労働保険(雇用保険労災保険)の算定ベースは「名称のいかんを問わず、労働の対象として事業主が労働者に支払うもの、ということになっているが、それは年三回以下の賞与は含まない)


賃金との関係で、社会保険料は標準報酬月額、労働保険は賞与を含まない労働者への手当てをもとに算定される。一方、残業手当は基本給を労働時間で割って出された一時間あたりの賃金に二割五分が付加される。両者を労働者一人当たりにかかる人件費でみると、残業手当を付加した人件費のほうが、安くつく。久本氏の本では、日本企業の人件費の構造では、残業時の割増率が71%(現行は25%の企業が大半)に達して初めて、実質的な割増率がようやく0%に追いつく、とはじいている。これはかなりスキャンダラスなことだ。現在の日本は、社会制度がさまざまに逆機能に陥ってしまっているが、残業手当の算定基礎の問題は、その典型的な例だ。


要するに、現行の制度で、残業手当は割増になど全くなっていないのである。割増にならないから、残業への抑止力としても、ほとんど機能しない。むしろ、仕事が増えても人を雇わずに、既にいる雇用者による安上がりな残業で済ませようとするインセンティブが働く。久本氏は残業手当の「算定基礎を、個人の労働費用(人件費)とすることこそが大切である」と書いている。これは算定基礎を個人の総人件費とせよ、ということだろう。


この事実を当ブログを読んだあなたがもし初めて知ったなら、どう反応するだろうか。企業が正当な残業代を払っていないと怒るのではないか。確かにそういう切り口でみることもできる。経営側は残業させることで、低コストで労働力を調達している。


だが、見方を変えれば、企業が正社員を一人雇用するのに、基本給以外に多大な人件費を払っているとも言えるのだ。そのフリンジ(周辺)部分の企業コストは、税額控除や国費投入によって制度的にさまざまに優遇されており、正規雇用者への手厚い保護になっているのである。そして、マクロ経済的にみれば、この負担部分の厚みを薄くすれば、企業は削減できたコストで、新しく人を雇用できるかもしれないのだ。


今の労働市場をめぐるマスコミの「常識」は既存の企業に雇用されている正規雇用者の既得権を全く見ようとしない。だからこそ、非正規も大変だが、正規も長時間労働で大変だ、などとノーテンキな対比をして済ますのだ。何度も言うが、正規雇用者が長時間労働に晒されるのは、経営者にとってはそうさせることがコスト的に割安だからである。そして正規雇用者が働くのは、もしその長時間労働を課す職を離れれば、手厚い保障を失い、多大な損失を被るからである。外部労働市場がないために、長時間労働が助長される面についてはいずれ展開するが、関心ある方は以下のサイトを参考にしてほしい。


■人事 連載企画:Biz-Plus法的視点から考える人事の現場の問題点 第6回
http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=1


久本氏は著書名を『正社員ルネサンス〜多様な雇用から多様な正社員へ〜』とし、正社員概念の新たに読み替えを提唱している。多様な正社員が増えていくべきとして、具体的には短時間正社員などの働き方が普及することを理想としているようだ。個人的には倫理的に正しい働き方があるかのように表現する「正」社員という言葉は好きになれないが、結局のところ、名称はどうでもいい。これからは働き手が働き方によって差別されない税や社会保険制度になるべきなのだ。


社会保険や税制が、正規雇用であれ、非正規雇用であれ、中立的に機能するべきだ。その発想で政策を立案する人がほとんどいない。(少数はいる。追い追い紹介していきたい)正規・非正規間によこたわる問題は、本質的には、賃金格差にみられるような個別の企業努力に改善を期待するのではなく、社会保障格差にみられるような政治で改善はかるべき、またはかれるタイプの問題だ。正規雇用者の働きすぎの背景にあるのは、制度的な構造問題なのである。(下記サイト、久本氏の文章あり)


■残業問題の難しさ―不払い残業の撲滅は、支払い残業の削減から―(連合総研
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no187/kikou.htm