オリコン個人提訴裁判を反スラップ法理の切り口でみる

ジャーナリスト・烏賀陽弘道氏がオリコン名誉毀損で訴えられた裁判が始っている。はてな界隈でも話題になったわりには、訴訟を受けての彼のコメントが、はてブも言及も、たいしてされてないのが気になった。訴訟案件となると言及するのにビビる人が多いのかもしれない。ややこしい争いを前にすると忘れがちだが、言論表現の自由は基本的な権利だと確認しておく。ちなみに烏賀陽氏のサイトは今、自由の女神をもじったイラストがトップページになっている。


■■オリコン訴訟について烏賀陽はこう考えます■(うがやジャーナル)
http://ugaya.com/column/061227hanron_comment.html
オリコン株式会社・・・12月25日に裁判に関しプレスリリース
http://www.oricon.jp/


音楽関係者の方は、チャート操作をめぐる事実関係を焦点と考えている人が多い。そこを重視する場合には、チャート操作の可能性について、証言例をできるだけ挙げて、信じるにたる相当程度の理由があったこと、さらに現実的悪意がなかったこと、といった法理をプライバシー侵害の裁判例と同様、訴えていくことになろうか。だが、やはりこの訴訟は訴訟権濫用の観点から、クローズアップされるべきではないだろうか。烏賀陽氏が自サイトで、この訴訟は民事訴訟の体裁をとった言論妨害・脅迫である、と声を大にして言いたい気持ちはわかる。


というのも今回、オリコンは記事を書いた編集部と出版社を訴訟の相手としていない。音楽関係者でもない立場から見ると、この点にこの訴訟の本質があるように思える。「オリコンは予約枚数をもカウントしている」といった事実関係の争点については、周辺情報や噂は沢山得られても、当事者が現時点において訴訟にまで訴えて否定しているとき、そこをさらに完全否定して覆すのは至難の業だ(完全否定する必要性はないとも言えるが)。この訴訟の問題は、なぜオリコン側は、記事の事実関係を否定したいと思うなら、記事の執筆・掲載・頒布に係った関係者全体を訴えていないのか、という点から観る必要がある。この一件の訴訟は、事実関係を焦点にしているかにみえて、はからずも「以前から腹に据えかねていた烏賀陽をこの際封じ込めよう」と、意図しているとしか思えない体裁になっている。記事内容よりも烏賀陽氏個人を否定する目的が透けて見える。


最近以下のサイトで知ったが、反スラップという法理があるようだ。スラップとはStrategic Lawsuit Against Public Participation (公衆の言論を抑圧する戦略的訴訟)。これは、資力のある大組織あるいは稀に個人が、資力のない弱者による批判を封じ黙らせるために、訴訟による過大な負荷を与えることを目的として起こす意図的訴訟を指す。下記サイトでは恫喝訴訟と訳している。企業による検閲行為ともいえる、こういった訴訟を禁じる法律=反スラップ法が、アメリカ・カリフォルニア州などにはできているそうだ。強者が弱者からの批判を封じる訴訟を違法行為として禁じる法理が、欧米では発達しつつあるようだ。この法理によれば、スラップと認定されれば、事実関係をめぐる原告・被告の言い分以前に、提訴そのものが無効となる。


SLAPPについて - 栗原潔のテクノロジー時評Ver2 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/01/slapp_ee94.html


この裁判の背景にある経営者の動機を推し量るなら、オリコンは上場株式会社なので、世評に敏感にならざるをえないプレッシャーを常に抱えている。イメージそのものが信頼や価値を生む時価総額主義の時代、株式会社の経営者は、良い評判は自作自演してでも作り出そうとする誘惑にかられるし、悪評を封じ込めるためにはあらゆる手段を用いようとするだろう。聞くところによると、週刊金曜日とジャーナリスト・三宅勝久氏が名誉毀損武富士に訴えられた裁判では、反スラップの法理は法廷では援用されなかったそうだ。あの裁判はスラップそのものに思えるが、サラ金会社の企業文化といえば悪名がとどろいていたので、そこを焦点にするまでもなかったのだろう。あの場合はまだしも、出版社と個人が対象だった。だが今回は全くの個人が対象だ。反スラップの法理を知った今、この選別の姿勢にどうしても違和感を感じる。


現状、日本では反スラップの法理を条文化した法律はない。しかし今後このような訴訟がますます増加しかねないなか、今回の訴訟は、恫喝訴訟するような企業行動に正当性を与えない反スラップ法理があるのを、世間が知るきっかけになるとよいのではないか。オリコン個人提訴裁判は、新しい法理を訴える使命感を帯びた裁判と意味づけられないだろうか。(参考下記サイト)


■Strategic lawsuit against public participation: Information from Answers.com
http://www.answers.com/topic/strategic-lawsuit-against-public-participation


追記(1月29日):上記では反スラップ法理の例として、アメリカ・カリフォルニア州について言及しましたが、それだけみると局所的な法理の展開に思えるかもしれないので追記します。アメリカだけでも、反スラップの成文法があるのは、アーカンソーデラウェア、フロリダ、ジョージア、グァム、ハワイ、インディアナルイジアナ、メーン、メリーランド、マサチューセッツミネソタミズーリネブラスカネバダニューメキシコ、ニューヨーク、オクラホマオレゴン、ペンジルバニア、ロードアイランドテネシー、ユタ、ワシントンの25州に及ぶそうです。また成文法化されなくても司法原則とされているのが2州、また法案が現在もしくは過去検討課題となっているのが10州、今後課題となりそうなのが1州。つまり反スラップは連邦法としてではなく各州で立法化が発達し、全米で理解を得つつある法理と考えられます。現在、スラップは世界的に問題化しつつあり、EUニュージーランド、カナダ、南アフリカなどでの事例がAnswers.comでも紹介されています。(参考下記サイト)


■California Anti-SLAPP Project
http://www.casp.net/


追記(2月27日):id:lovelovedog氏の2月26日のエントリーで、当エントリーがSLAPPを(公衆の言論を抑圧する戦略的訴訟)とカッコ内で訳していることにつっこみが入っていました。public participation は、たしかに逐語訳するなら、公衆の関与、となりましょうし、(公衆の関与に対する戦略的訴訟)が妥当かもしれません。ただSLAPPという慣用句の場合の participation は、口をさしはさむこと、を意味していると思われます。当該エントリーの訳は下記サイトの中の訳語をそのまま利用したものでした。
CNET Japan Blog - Lessig Blog (JP):そしてスタンフォードCISの大勝利
http://blog.japan.cnet.com/lessig/archives/002075.html
このなかに(公衆の言論を抑圧する戦略的訴訟)と出てきます。この訳例を読んだとき、当ブログも意訳だと思いましたが、日本語としては通じやすいと思いました。CNETの記事で紹介されている裁判例、今回の烏賀陽氏のケース、いずれも言論が焦点であり、それらを鑑みると、訳語としてそんなにおかしなものではないと判断して用いたのでした。