今年は自分の無能さに言葉を失い物語に欠けた時間を生きてしまった。ウェブ上のふるまいを振り返ると、夏にちょっとした挫折があり(8月のエントリーはゼロ)、それ以後無気力だったのが見てとれる。はてなでは1月から4月までサイトクリップを続けていたが、5月からはてブ利用を開始した。思えば情報摂取においては、動画投稿サイトの閲覧以上に、SBSの利用が個人的には画期的出来事だった。お気に入りの巡回先だったMM/memoがSBSだったと気づいたのは、はてブを利用し始めた後だった。そりゃはまるはずだ。世間的には2006年は自分から好きな動画を探して見る動画投稿サイトの隆盛がウェブ上の大事件だったし、僕自身もかなり利用したが、SBSほど(ソーシャルと銘うっているのに)ユーザー志向で個人にとって有益なウェブサービスはないと感じてきた。


日々のブックマーク作業は惰性を感じるときもあったが、次につながる何かも感じたので続けた。その作業は今進行しつつある情報爆発の時代に抗う優れた「みえる化」システムを備えた個人的データベースを作ることになると思ってきた。こういうサービスを典型に、人生の早い段階から自分の関心に沿った事後検索可能なデータベースを手に入れる世代が生まれつつある。自分の知を飛躍的に高める手段が多種多様に提供される環境が生まれつつある。もはや目にしなくなった高度情報社会という表現があるが、今年はそう表現するにふさわしい、とてつもないことが起きているなという興奮と緊張が通奏低音のようにあった。それは『ウェブ進化論』で描かれたような楽観的なトーンではなく、どちらかというと不安や焦燥、嫉妬のトーンに渦巻かれているものではあったけれども。日々情報に追いまくられる感覚は収まることがない。


計算してみると、僕は一日平均約15エントリーほどブックマークしているようだ。その内訳は自分の感覚では、10が関心ある分野のニュースやサイト、2がIT系のネタ、2が本や商品の情報、1が未知の分野の何か、といったばらつきだ。こういうばらつき方には人によって個性が出るだろう。公開すれば、ひょっとするとブログでエントリーを書く以上に脳内を晒すことになる。ブックマークはさほど読者を想定せずに続けられる作業者本位の行為だからだ。もし公開するなら、それは日々自分がどういう情報に、どういう程度の関心をもち、どうタグ付けして意味づけているかが、他人にわかる。知の編集作業を公開してしまうような恐ろしいことにも思えるが、それでも面白さがそこにはある。互いの脳内を晒しあうことで新たな発見に出会うときがあるからだ。ここには顔認識ソフトのライヤの開発について語られていたのと似た構図がみてとれる。ユーザーからの個人情報の集束が結果的に価値あるサービスの創発を促す。


そんな大そうな理屈をつけてはみたものの・・・今年は1日3時間は巡回やはてブにかけていた。情報収集術に関心があるはずなのに、はっきり言ってバカである。こんな時間の使い方は、もう2007年にはしない。ただSBSの利用は当分やめられそうにない。はてながサービスをやめれば全てがパーになりかねないが、脳に痕跡を残すためにもやるしかない。となると課題はスピードだ。と、ここまで書いてきて、この文章も切り上げるのが人生のスピードアップのためには望ましいと結論めいたものが見えてきた。お後がよろしいようで。