あるブログを読んでいて、「モノゴトが出来上がるための、“前提条件”を求めるスタンス」という言葉が出てきた。自分にとってひっかかるキツい言葉だ。自分はいつもスタンスの未熟さを理由に、情報発信を怠り、サボり、逃避している。何か確固とした組織なりの後ろ盾があれば揺るぎないスタンスが確立できて、自在に何かにアクセスし、かつ自在に情報発信できるんじゃないか、という幻想を卑屈にも抱きがちだ。しかし、そう簡単にモノゴトは運ばないということが、今はわかる程度の経験を少しは積んだ。


リニューアルしてしまいすっかり中身の無くなったこんなブログでも、実は今まで3回ほど仕事に結びついたことがある。それを思えば、やはりつたなくとも何かを発信すべきではないかと思い直し始めた。本当はオピニオンを発信すれば自分という人間をいちばん出せる。でもトラックバックを飛ばしてにしっかり内容のあるエントリーを書けるほど時間をとれる自信がないので、注目すべきニュースをとりあげて、関心のありかを記録することから始めよう。


こんなことを考え始めたのはある二つのメーリングリストに参加していて考えたからでもある。一つは学者の方主催で特定のテーマについての情報共有を目指している。このメーリングリストで気づくのは組織人(記者)が情報共有に極めて消極的だということだ。テーマに関連して自分が記事として既に社会に発表したものですら情報共有に向けて告知しようとする姿勢がない。読者に忠実なつもりかもしれないが、それならなぜメーリングリストに参加しているのか。ライバル社の記者が多数参加していることから、テーマに関連した情報をあまり提供したくないというのはあるのかもしれない。しかしもともと特定のテーマを考えるためにそこに集っている以上、新たな知見の土台となっていく情報は、積極的に告知されるべきもののはず。だが、そういう流れにはならない。一方的に情報をもらうことに慣れてしまっているのだろうか。もう一つはある記者の方主催で、テーマがあるものではないが、主催者の方が自分に入ってきた情報をマメに転送して情報共有を促す。すると自然にメンバーの投稿も増える。おそらくこの情報共有のための発信が、フィードバックされてさらなる情報の集積を生んでいるのだろう。これには情報発信の良循環を感じる。主催者の方の姿勢の違いが差を生んでいる面もある。でもメンバーの姿勢にかなり違いがある。いずれにせよ、情報は発信しなければ集まらないということをつとに感じる。そんなわけで、めんどうな理屈づけもできたところで、気になるニュースの収集を再開したいと思う。