「個」を見つめるダイアローグ
共謀罪の今国会での成立が回避された日に思うつれづれ。今国会では共謀罪導入と並んで入管法の改正が審議されていて結果的に法案は成立した。そのいずれの法案でも疑われているのは、アメリカ追従の法改正ではないのかということだが、村上龍伊藤穣一の新刊『「個」を見つめるダイアローグ』を読んでいて、伊藤氏がアメリカの入国審査に不快感を持っているくだりを読んで得心するところがあった。


アメリカは同時多発テロ以降入国審査の強化を進め、2004年10月以降、US-VISITとよばれる入国審査を導入している。入国する外国人から顔写真と指紋を採取しデータベースを構築し続けている。外国人を潜在的な犯罪者とみなす視線、そして採取した個人情報を一方的に利用・管理するあり方を伊藤氏は批判している。伊藤氏といえば住基ネット導入のおりにも、その運用に潜む危険性に警鐘を鳴らし、費用対効果の面から見ても個人情報の一元的な管理に疑問を呈していた。


確か住基ネット論議の際には、政府の意図している最終目標が達成されたとしても費用対効果の面から厳しくチェックしなければならないという議論があったと思う。政府の意図している最終目標・・・それはつまり個人情報の一元的な連結、つまり国民総背番号制による個人情報の包括的活用ということになる。US-VISITのシステムでは国土安全保障省が収集した情報が、テロリスト情報と照合されるだけでなく、犯罪者、移民法違反者のリストとも照合される。それと同様のことが日本でも行われ始めるわけで、今国会で共謀罪導入を積極的に推進した一人、自民党平沢勝栄は新刊『「国会」の舞台裏』のなかで、法務省から警察庁への情報提供なくしてこれからの犯罪対策はありえないとしている。行政目的のもとに情報の結合が飛躍的に進むに違いない。


さてこの平沢氏の本は、昨今の治安対策立法の政府与党の推進の意図がよくわかり、それはそれで面白いのだが、入管法の改正にも触れたくだりがあり、US-VISIT導入は米国では「全く問題になっていない」と言い切っている。ところがこのようなシステムを導入することが社会をより生き易い自由な社会にするかどうかはわからない。アメリカ社会の実情を知る伊藤氏が違和感を表明しているのだから。伊藤氏の違和感を突き詰めると、アメリカが異質性を排除する不自由な社会に向かっているということになる。政府を批判するような動きが封じ込められることが問題だと語っている。


村上・伊藤本のなかで印象に残ったのが、アメリカの建国に大きな役割を果たした「フェデラリスト・ペーパーズ」という論文が匿名だったということを指摘したところだ。これはダン・ギルモアの『ブログ 世界を変える個人メディア』の中で指摘されていたことで、もともとアメリカはイギリスの異物として出発し、イギリス政府批判に際して匿名の新聞論文での批判こそが強い影響力をもったとされていた。つまり政府のような既存の権力を批判するには、匿名での批判も許容されなければならないし、そういう情報が流通する世界が保障されて始めて、建設的な自由な社会と呼べるということだ。


改正入管法はまず外国人を手始めに匿名性を奪い去る。そしてまもなく日本人からも任意で顔写真と指紋を採取する運用が開始され、個人情報が治安対策の観点からも管理され、匿名性が奪われていく。おとなしく管理下におかれることが不審者と疑われないための自衛策になっていく可能性がある。入管法改正はテロ対策が名目だし、より包括的なテロ対策基本法の立法まで既に検討されている。このテロ対策の流れのなかに共謀罪を含む治安立法がある。つまり匿名を許さない監視社会化が進行することで政府に批判的な活動をすることが萎縮させられてしまうのと同時に、その反政府的活動がテロと拡大解釈されてしまう状況が訪れかねない。


入管法改正で日本政府は外国人を監視対象として見ることを選択した。日本人とてあえて監視される側の視点を選択するまでもなく、技術的にはしだいに相互監視が浸透し匿名性を維持するのが難しい社会になっていく。いよいよ権力を批判的に検証する匿名の存在、理解できない異物の存在はなかなか重要なのだと思う。村上・伊藤本はこれからの生き方のヒントとして日本社会を外国人の視点から見ることを勧めている。異物の目を自らの中に養えということだ。