新聞の特殊指定の問題、公取委はこのままゴリ押しすると新聞というメディアを特別扱いする時代錯誤な立法がなされてしまうことを懸念して、その廃止を断念した。


今週発売の「週刊金曜日6月2日号」と今月発売の「諸君7月号」で、元日経のスクープ記者で同社のシンクタンク日本経済研究センターの主任研究員、大塚将司氏が現役の新聞関係者でありながら新聞の特殊指定の異常さを批判する記事を書いている。大塚氏は独禁法の適用除外とを正当化する新聞社の我田引水ぶりと、新聞事業関係者以外の株式取得を制限した日刊新聞法の問題点を指摘している。


記事中に新聞の特殊指定が導入された経緯が書いてあったので記録したい。新聞の特殊指定はもともと、戦時中の大政翼賛体制のもとで構築された共販体制(販売店が統合されていた)から専売体制に戻る過程で起きた混乱回避が目的だった。乱売を仕掛けたのは読売、朝日、毎日の大手三紙。地域や相手によって値引きしたり、販売店へ押し付け販売することが1955年12月に禁止された。読売はこのときを端緒に部数の劇的拡大を遂げていったのは本田靖春氏の『我拗ね者として生涯を閉ず』にも書かれていた。地上波のテレビ放送が開始されたのが1953年だから当時はメディアの再編期だったわけだ。当時は新聞という形態こそがメディアの王様で、その画一化が懸念されたのは想像できる。


大塚氏は「新聞業界の本音は新規参入を阻止し続け、安穏な経営を続けたい、それにつきるのである」と書いている。確かに今後の市場拡大に打つ手なしの地方紙の経営者の本音はそうかもしれない。しかしいわゆる全国紙の関係者の本音は道新の高田昌幸氏が以前ブログで書いていたことこそが核心を突いている。特殊指定という規制に守られながら内部留保を確保しては経営体質の改善をはかり、自由化時代の到来を告げては前言を翻し、新たな時代の旗手として市場を席巻するというシナリオを描いているに違いない。すでに新聞価格が同一価格というのは単なるお題目でしかないのは今月の「WiLL7月号」の特集のひとつ、ASA(朝日の専売店)60店に新聞料金を聞いてみましたというので検証されている。


新聞業界は宅配制度を言論の自由の保障に結びつけて主張しているが、そんな議論は国際的にみて成立するわけがない。今後公取委には国内の業界の実態を語るよりも国際比較を語って欲しい。新聞というメディアだけを特別視することはメディアの歴史から見ても、もう根拠がない。テレビやウェブの登場を無視してよくもまあ議論できるものだ。


さて今回の公取委の断念で新聞販売店は胸をなでおろしているだろうが、そんなのは一時的なものだ。新聞社はいずれ系列販売店をとかげの尻尾切りよろしくリストラを敢行する。新たな経営戦略は美名のもとに実行される。新聞印刷は紙パルプの浪費だと環境保護の視点から、宅配は漸減させられるのではないか。そういうデータを関係する研究機関がすぐにでもはじき出しそうだ。新聞の特殊指定はいずれ必ず高らかな美名のもとに廃止される。特殊指定存続のニュースを見て、一言書きとめておくべきかと。